坊さん座談会
〜仏教的にLGBTってどうなのか、聞いてきました〜
仏教では、LGBTを良しとするか、悪しとするか
- 太田
- なんか、早々にすごい会になってきましたね。じゃあ、地獄はみんなが行きがちだとして、LGBTがどのように捉えられているか、っていうのはどうなんでしょうか。
- 本多
- そこですよね。仏教って女性差別的な言説が残っていたりするんですよね。例えば、男の体じゃないと成仏しない、仏にはなれないみたいな、ことが仏典に書いてあったりするんです。でもその表現の捉え方って統一されていなくて、僕はある先生に「全員が男になるというのは、性の別がなくなり、均一化された状態で成仏する、ということを指す」と教わったんですね。それはつまり、男性の形をしていようが女性の形をしていようが間の形をしていようが、心の性が何であろうが、関係なくなるところに悟りがあるよ、仏がいるよ、ということなんです。「今あんたは男の体をしてるのに、なんで女の心をもってるんだ」みたいなことをとやかく言う人に悟りにはない、ということになるわけです。
- 太田
- なるほど。それ、びっくりです。そういうLGBTを受容する解釈は、日本的・現代的な解釈というよりも、古くから世界中でそうなんですか。
- 本多
- 仏典にLGBTにまつわる明確なやり取りがあるわけではないのですが、もともと原始仏教から続いている根幹みたいなところからいえば「自分の体にこだわったりしなくていいし、自分の心にこだわったりしなくていいし、好きだという状態に悩まなくてもいい。全部、移り変わるものだよ。」となるんですよね。そういう意味でも、最初から仏教はLGBTを受容すると思います。とは言え、時代や国の文化背景っていうのも影響はあるでしょうね。
- 金沢
- なるほど。場所の違いで、分かりやすく捉え方が違う例ってあるのでしょうか。
- 本多
- 例えば、インドの仏教徒がお酒はNGだけども、日本では飲む仏教徒がたくさんいる、というのがありますよね。
- 太田
- あ〜、なるほど、そうか。
- 本多
- インドでは聖人がお酒を飲むなんて考えられない、そんなヤツの話は聞いてもらえない、となりますが、日本だと逆で,酒も飲まないやつの話なんか聞けるかってオジさんがいっぱいいるわけですよね。それに、お酒は土地神にお供えする物ですよね?神に供えるものを否定することは、その神を信仰する人達を否定することです。日本では酒そのものを否定していくのは無理な話だと思います。
- 太田
- なるほど!面白いな〜。大澤さんはどう考えられますか?LGBTを仏教はどう捉えるか。
- 大澤
- そうですね。仏教の根本的な教えで『縁起』っていうものがあって。これは、「縁によって起こる」という意味なんですね。よく縁起が良いとか悪いとか言われたりしますが、「良い・悪い」は人間の判断に過ぎません。縁起は、人の判断をつける以前の、ただただ、様々な縁が重なり合って一つの現象が起こっている状態を言います。この現象に我見を入れずにありのままの姿を見ることが、仏教では大事なことなのです。だから、仏教的立場で見ると、太田さんや金沢さんだったら、たまたま男性に生まれて好きになった相手が男性だったっていう、ただの因縁というか、現象なんですよね。その事実をありのままに見つめた時に、良いとか悪いっていうことは一切ないんです。だから私は、「LGBTの方がLGBTである」という事実自体を「悪い」とするなんて仏教ではないと思いますよ。
- 金沢
- す…救われるかも〜。
- 太田
- 確かに、救われるかも〜。
- 大澤
- 「かも」なんですね(笑)。
- 金沢
- いや、救われます〜。それでは、結論としては、「仏教としては受け入れられます、そしてそんなこと関係なく大体みんな地獄に落ちます」っていうところになりますでしょうか。
- 本多
- そうですね、基本は地獄に落ちます(笑)
- 金沢
- 占い師に「てめぇも地獄だかんな??」って言ってやりてぇ…。
- 一同
- (笑)
- 大澤
- まず、人を怖がらせてる時点で地獄行きなるんですよね…。
- 太田
- 占い師に、「友達つくれよ」ってメールしなきゃだね。
- 金沢
- そうだね。あとで事務所調べよ。人助けして、思われる私に一歩近づかなきゃ…。