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ノンケと映画に行く。第一回|グレイテストショーマン / 小野 美由紀

小野 美由紀

作家。著書に、銭湯を舞台にした青春小説「メゾン刻の湯」(18年2月 ポプラ社)「傷口から人生。メンヘラが就活して失敗したら生きるのが面白くなった」(幻冬舎)絵本「ひかりのりゅう」(絵本塾出版、2014)などがある。
https://note.mu/onomiyuki

太田 尚樹

やる気あり美編集長。ゲイ。ソトコトにて「ゲイの僕にも、星はキレイで、肉はウマイ。」を連載中。

ノンケと映画に行く。について

「最初のデートには映画がいい」なんて、みんなが言う。
それはきっと、映画の感想に相手の本音が出るからだ。
映画は優秀なコミュニケーションツールだ。

2018年日本、「ノンケ」と「LGBT」の間には、まだ緊張感がある。
みんな考えてしまう(変なことを言わないように…!)。

だから僕らの間に必要なのは映画ということになる。と思う。

あのシーンが好き!お、どうして?
そんな話、緊張しようがないもんね。

さてさて、だれを誘おうか。
どんな本音がきけるかな。

グレイテスト・ショーマン The Greatest Showman

自身の生まれにコンプレックスを持ちながらも、商才に恵まれている主人公のP.T.バーナム。そんな彼がある日、起死回生のビジネスとして始めたのは、変わった外見や特殊能力を持つ人達を集めたド派手なサーカス。サーカスを成功へと導く途中で直面する数々の困難を通じて、バーナムは自分にとって本当に大切なものに気がつく。

2018.3.8

トピック多すぎなうえにミュージカル、置き去りにされるウチら、真顔。

この記事はネタバレを含みます。

タグ付けってしちゃうけど、タグは一つだけじゃないんだよね。


小野
この『グレイテスト・ショーマン』が、5年前とか10年前とか、多様性とかマイノリティとかについての語りが成熟していない時に見たら、もしかしたら面白いって思ったかもしんないけど、今って『Glee』とか『逃げ恥』とか、地上波で今やってるドラマとか、他にも多様性をさらっと描くのがうまいコンテンツってたくさんある中でこれを見ると、稚拙だなぁって思っちゃったな。
太田
本当、なんでこれが今出たんだろうね。
小野
一方で、私は書き手としてはこの映画を見て、「マイノリティや多様性を描くことの難しさ」を感じて、我が身を振り返らされた。「私の表現は大丈夫かな」って。
太田
というと?
小野
私が今回出した小説『メゾン刻の湯』も、「多様性」がテーマで、障害者やLGBTs、ハーフ、あとネグレクトされた親のいない子供のキャラクターなど、マイノリティとされる人々を描いているの。だから、一応くくりとしてはこの映画と同じなわけ。でも、私は当事者ではない。当事者ではない人間が当事者を描く上ではどうしても「ポリコレ」を参照せざるをえない。
太田
はは〜!そりゃそうか。自分が当事者だから逆にその視点なかったわ。
小野
誰かを傷つけたくないからね。結果として書いてる間にどんどん「ポリコレ病」におかされる感覚があって。
太田
ポリティカル・コネクトネスの病ね。「リレハンメルの悲劇」みたいでいいね。葛西さんメダル取れなかったね。
小野
……ちょっと何言ってるのかよくわかんないけど、「差別意識とか偏見が、含まれてないか」ってどんどん気になってしまうってことね。例えば『メゾン刻の湯』にはトランスジェンダーのキャラクターが出てくるんだけど、彼女に対する表現とか、数人のLGBTの当事者の方に監修してもらいながら書き進めたけど、それでもその数人の意見でしかないし、「私は誰かを不用意に傷つけてしまわないか」ってすごく不安だった。
太田
あー、そうだったんだ。
小野
でも前に太田が、DRESSの対談で「絶対に誰も傷つかない表現なんて無理だから、せめて『この発言で傷つくのは誰か』に自覚的であろう」っていう話をしていて、ハッとなった。
太田
なるほど。
小野
本当に多様性みたいなものを、小説とかフィクションで描く時に、すごい難しいよなと。だから、太田は作り手としては「マイノリティを描くこと」や「多様性を表現する」についてどう捉えているかは気になる。
太田
なるほどー。あー、うーん…、みゆきの『メゾン刻の湯』の話に触れながら話したいんだけど、僕好きなシーンがあってね。
小野
そうなのね、ありがとう。
太田
『メゾン刻の湯』の中に、女性装をしている身体的には男性で、自分のセクシュアリティがよくわからないってキャラクターが出てくるじゃん。その子が女性装をしていたとアウティングされてしまった時、勝手に周囲の人間が「彼はそういう人だ」「いや、違う、こういう人だ」と口々にラベリングしはじめる。で、それに対して、義足の美容師の龍くんってキャラが「自分が意図しない形で好き勝手にラベリングされるのってしんどい」みたいなこと言うセリフがあるよね?

「 ……あいつさ、今、すんごくしんどいと思うよ。ああやって、自分が意図しない形で好き勝手にラベリングされるのってさ、なんか、そればっかりになる気がしてさ。“そう”な俺と、“そうじゃない”俺があったとして、」

そう言って、龍くんは中空に手で輪っかを二つ作った。

「俺だって、今でこそ慣れてさ、むしろそれも利用してやるぞー、みたいなとこあるけどさ、それでもやっぱ、きついときあるもん。『障害者タグ』みたいなの、わかる?貼られんの。それだけで判断されるっていうのはさ、自分に関する、それ以外の部分を、全部丸ごと無視された気になるんだ」(『メゾン刻の湯』より引用)

太田
あそこのセリフは多様性を描く上ですごく重要な視点だと思っていて、「そのタグって、その人がたくさん持っているタグのうちのひとつでしかないよね」ってどれだけ描いているかっていうのがすごく重要だと思うんだよね。
小野
あー、なるほど。
太田
たとえば『グレイテスト・ショーマン』で出てくる小人症の人は、結局「小人症の人」という印象しかほとんど残ってないわけで、それが嫌だなって。24時間テレビもそうじゃん。「足の不自由な人が遠泳にチャレンジ」みたいな企画でも「足が不自由でこれまでこんなことに悩んだ、支えてくれた人に感謝してる」という描写がほとんどになるし。
小野
そうだね。
太田
でも本当は彼は、めちゃくちゃAVに詳しいかもしんないし、匿名アカウントでアルファツイッタラーやってるかもしんないし、落語語らせたら世界一面白いかもしんない。だから、たとえ分かりやすく人と違うタグを持っていても、決してその人はそれだけじゃない。それを描くのが重要なんじゃないかな。
小野
なるほどね。物語の中でいわゆるマイノリティのタグを付けるだけではなくて、能力やキャラクターとしてその人が必要だから、という点が描かれてたら、全然いいんだろうね。『Glee』とか『逃げ恥』とかもそうだもんね。
太田
そう思う。

「かたい絆」より「丁寧な絆」を。

太田
僕『メゾン刻の湯』読んで改めて感じたのがさ、みゆきは「私それよく分かんないわ」とか「共感できないわ」っていう非共感を相手に提示しながら、手をつなぐのが上手だよね。
小野
ありがとうございます。
太田
よく飲み会とかで誰かに「そうなのかな?」って言い返して、相手の話をもうちょっと聞いてみて「なるほど、ごめんね」って謝ってるの見るし笑。
小野
言ってるね笑。
太田
それってできない人多いじゃん。
小野
そうなんだ。
太田
そうだよ。少なくとも僕には難しいよ。共感って気持ちいいし。でもやっぱ人間同士、全部共感できるわけなんてない。でも共感しとくのってその場では楽だから「分かるわ〜」って言いがちで、でもそれによって合わせるのに疲れてくるんだよね。だからやっぱりある程度「違います」とか「そう思いません」って言わなきゃダメで。みゆきはそれが上手だし、その姿勢が小説の会話にも反映されてると思った。
小野
ありがとう。
太田
例えば中盤で、いじめられて学校に行かなくなったリョータに、ハーフであることで小さい頃からいじめられてきた蝶子が「男なら戦え!」って言って、それにゴスピが反論するシーンとか。

「蝶子さんはさ、女だから戦え、なんて言われたらどう思うの?普段はステレオタイプな考えを押し付けるなって言うくせに、こんな時だけ性別の“らしさ”を押し付けるのは間違ってるんじゃない?」

「そうか。ごめん」いったん自分の非を認めると、蝶子はすぐに謝る。僕は彼女のそういうところがとても好きだ。(『メゾン刻の湯』より引用)

太田
他にも物語の途中で、おっさんが若者に「お前ら祭に出ろ」って提案して「興味ないんで」と返されるシーンがあると思うんだけど、それに対してオッサンは「なんだよ!」としっかり悪態つくものの、別にそれっきりで。その後「落語やろう!」ってみんなで盛り上がる笑。
小野
そうだね笑。
太田
みんな会話にいつも軽やかな反論があって、それに対して「ごめんね」って謝ったり「じゃあこれは?」と違う案を提案できたりって、すごくこれからの時代で大事なスキルだと思うんだよね。この物語の中には「かたすぎる絆」を結んだことによって同調圧力に飲まれて、自己を奪われていった人の話も描かれていて、そこと対比させながら「ゆるい絆」というか「丁寧な絆」の結び方が描かれている。
小野
たしかに、そこは私の中で大切にしたいことなのかも。一人一人、違う人間だし、理解できない部分もたくさんあるんだけど、それでも仲良くできる、っていうのをメッセージとして描きたかった。主人公に「あなたと私、一緒でしょ!」「誰でも理解し合える!」みたいなことは、ちょっと言わせたくなかった。

「阿吽の呼吸」とか言ってないで、人間みんな違うんだから。


太田
そういう価値観はどういう経験から来てるの?昔自分もシェアハウスに住んでた経験から?
小野
あー、前にも対談で話したけど、私、幼稚園を2回退学になっててさ。覚えたてのマスターベーションをお昼寝の時間に周りの児童に広めて…。
太田
その話、マジやべえからな。
小野
そういう経験も含めて「自分と人が違ってもしょうがない!」ってどっかから思いはじめて、そこにたどり着いたってとこはあるよね。
太田
なるほどね。
小野
だから、思ってることは言おうって。共感的コミュニケーションをした方がいいかなって思ってた時もあるけど、「自分が相手と違う」ってことを大事にしなかったら、「相手が自分と違う」ことも大事にできないし、って最近は思っていて。
太田
そうだね。その通りだと思う。
小野
あと、太田の言う通り、シェアハウスに住んでた経験が長いのもある。シェアハウスってさ、「話し合わなきゃやってらんない」みたいなことがいっぱい起きるんだよね。たとえばさ、仕事で嫌なことがあったりして、不機嫌な状態で帰ってきた人がいて、リビングが変な雰囲気になったりした時に、和を保とうとして不自然になることとかってあるけど、それって人間関係として不健全じゃん。だから、結局話し合って腹割らないとダメで。それに限らず家のルールとかさ、「こうしてたら不快だ」とか、自分の状態を伝えあって、話し合わなきゃいけないから、それで鍛えられたっていうところはあるよね。
太田
なるほどー。
小野
『メゾン刻の湯』では、多様性についてすごく描きたかったっていうより、私がシェアハウスで経験して感じたことを込めれたらなって思ってた。トランスジェンダーとか、義足じゃなくたって、これだけ人はみんな違って、違ってよくて、だからめちゃくちゃ話し合って、理解し合う努力をしなきゃ一緒にいれないんだ、という実感を作品にしたかったんだよね。
太田
やっぱりそうなんだー!そう聞くと、シェアハウスの経験っていいね。一緒に住んでるけど家族ではない、みたいな中で、個を大事にしながら絆を育むって、本当は家族間でもやるべきことじゃん。婚姻届出してても、血がつながってても、別の人間なんだから。
小野
ほんとだよ。そこを怠ると、それこそ『グレイテスト・ショーマン』の中盤の家族のガタガタぶりみたいになっていくんだよ。「相談してほしかったわ」とか言って奥さんに出て行かれるわけよ。
太田
うまいこと戻ってきたね笑。でもそうだよね〜。
小野
分かり合えない前提で、恋人だろうと、同居人だろうと、友人だろうと話し合わないといけないんだよ。「人間関係」に下手とか上手いとかもなくって、全部が一対一のオリジナルな関係なんだから。その相手との、オリジナルな関係を逐一作り上げなきゃならない。
太田
なんか「阿吽の呼吸」を美徳としすぎなのかもしんないね。僕もまだまだそういうところあるけど。
小野
阿吽の呼吸なんて、なかなかないからね。
太田
そうね、ないからスペシャルな呼吸なわけだもんね…。
小野
話し合って壁をこえていくっていうのが必要なんだよ。できることばっかりじゃないし、難しいんだけどね。
太田
その通りすぎるね…。えーと、そろそろ時間だけど、なんか今日は、散々『グレイテスト・ショーマン』が好きじゃないって話しちゃったけど、『メゾン刻の湯』の話で温かい気持ちになったわ、ありがとう笑。
小野
こちらこそ笑。映画に関しては、「つまんない」って思っても言いづらい映画だろうし、スカっとするいい対談になったと思うよ。
太田
笑。そうだといいな〜。

photo by tomomatsu rika

こんにちは。第一回「ノンケと映画」の編集を担当した、やる気あり美のたんです。

映画を観て、僕も二人と同じく「リアリティのなさ」が気になりました。でも、それ以上に、この作品がマイノリティを格好良く描いてくれたことを嬉しく思いました。同じように感じた人もいるんじゃないかな、と思います。

自分がゲイだと自覚した高校生の時、僕は周りの友達がTVに出ているオネエタレントを笑い者にしているように見えて、自信が持てずに悩んでいました。

当時の自分が、「これが私だ」とマイノリティの人達が叫びながら闊歩する、あの最高にクールなシーンを見たらやっぱり救われたんじゃないかなぁ。映画を観たクラスメイトが「あそこ、めちゃくちゃ格好良かったよね」なんて話しているのを聞いたら尚更です。

ふたりにも対談の後そう伝えたのですが、「それも言えてるねー!」と叫んでました。気の良い人たちですね。


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トピック多すぎなうえにミュージカル、置き去りにされるウチら、真顔。


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